2006年に共著で書かせて頂いた「みんなの命を救う?災害と情報」の一部の内容を、版元のNTT出版のWebサイトで無償公開して頂けることになった。取材時か時間が過ぎているが、基本的な内容に関しては、いまでも参考になると思う。特に自治体関係の人には、ぜひ読んで頂きたい。
ITに関係する部分は技術が進んだ分、キャッチアップしなければいけないと思うので、適宜まとめて、このサイトでも紹介していきたいと思います。
2006年に共著で書かせて頂いた「みんなの命を救う?災害と情報」の一部の内容を、版元のNTT出版のWebサイトで無償公開して頂けることになった。取材時か時間が過ぎているが、基本的な内容に関しては、いまでも参考になると思う。特に自治体関係の人には、ぜひ読んで頂きたい。
ITに関係する部分は技術が進んだ分、キャッチアップしなければいけないと思うので、適宜まとめて、このサイトでも紹介していきたいと思います。
友人が主催でツアーを組んでくれて、行ってきました上海万博。
羽田空港から一路上海へ。羽田からだと中国もすぐについちゃう感じがして、いいね。到着した上海空港は雨模様。
まずはホテルに移動して、荷物を解こう。ついたホテルではロビーで万博のマスコットキャラが出迎えてくれました。
夕食まで時間があるので、中華Padをご所望とのことでツアー参加者は上海の電気街にいくことに。予備情報無しで現地で検索しながら2時間ほどうろつくと、なんとかそれっぽい場所に到着。昔の秋葉原のガード下のような懐かしい感じの場所。
到着まで時間がかかった割には、欲しい製品は見つからずにホテルに帰る。でも楽しかったぞ。回転テーブルで上海料理を堪能した後、上海の夜景を見に、まちへ出る。
ネオンの感じが儲かってますというオーラを出してますね。
翌日、待望の上海万博会場へ。会場まで行くバスの乗り場は上海のシンボルの東方明珠電視塔(Parl Tower)の下。
優先チケットがあるので、あまり並ばずに入れたのがよかったよ、ほんと。ゲートの近くはすごい行列だったから。
開場してまずは空いているところから回ろうということで、手近な北朝鮮館wへ。大量の将軍様グッズがお土産に売られていたが、買う気は起こらず。でも一緒に行った人は、嬉々としてCDとピンバッチを買っていたなぁ。あれどこで付けるんだろう。
混んでいるのはイヤなので、この日は結局マイナーな国の展示ばかりに入ることになった・・・。
午後からは「生命陽光館」へ。ここは万博で初めて障害をテーマにしたパビリオンだそうで。期待大。
ここの目玉展示の一つに「天視奇観(天の光 闇の奇観)」という暗闇体験というのがある。どっかで聞いたような企画だ。
人気のようで入るまでは結構並ぶ。中は真っ暗なはずなんだけど、残念ながらところどころ赤いLEDが光っていて本当の真っ暗闇ではなかった。視覚障害のアテンダントがついてくれるが、じっくりとDialogをする余裕などはなく、流れるように進んでいく。最後の部屋では、ドシドシという音が聞こえてきて、その音に関する解説が流れてきた。照明がついて、それがサッカーボールを蹴っている視覚障害のスポーツ選手の出している音だとわかる仕組み。
「生命陽光館」の印象だけど、福祉機器的な製品のレベルは上がっている用に見える。デザインに関しても海外の機器メーカと組んでいるようで、だいぶ良くなっている。一方で、コミュニケーション機器に関してはまだまだこれからでしょう。CSUNなどでは精華大学などが開発している製品がでているので、将来が楽しみですが。いずれにせ、安くて性能の良い製品がたくさん作られることを望みます。
2010年5月に東京ミッドタウンで行われた世界を変えるデザイン展と関連するワークショップに参加してきました。
展示されているプロダクトは、いずれも途上国での利用を前提に考えられたデザイン。制約の多い中での試行は、アクセシビリティを考える上でも、とても参考になります。
写真左上:「Qドラム」 円筒形の本体の中に水を入れて転がすことにより、大量の水を遠くまで運ぶことができる
写真右上:油圧眼鏡「Adspecs」 つるの部分にある油圧シリンダーを調節することにより、レンズの厚みを変えて、ユーザーの視力にあった度に合わせることができる
写真左下:「d-light karan」太陽電池で昼間充電しておくと、一晩光をともすことができるソーラーランタン
写真右下:「OLPC」One Laptop Per Children 元MITメディアラボ所長のニコラス・ネグロポンテを中心に開発が進む低価格PC
同時開催されたワークショップには2回ほど参加することができました。
東京造形大の益田先生がコーディネータのワークショップ。大気汚染のひどいインドで、現地の人に使ってもらえるマスクをグループに分かれて考える。個人的には、大気汚染の健康被害を防ぐためにマスクを付けるというのは、対症療法的なアプローチで腑に落ちなかったが、現地の様子を聞きながらアイデアを考えるという作業は楽しかった。
日本が世界にできること・Part1 ?残り90%の人々が本当に日本に求めているデザインと技術?
こちらは九大でBOPを研究しているアシル・アハメッドさんがコーディネーターのワークショップ。アシルさんはバングラディッシュ出身なので、当事者的な視点のワークショップで、前回と違った雰囲気でよかった。今回のテーマは前回よりも広く、途上国で実際にビジネスを起こすとしたら?という、BOPビジネスプランニングといった趣旨の内容で、よりビジネス寄りの発想が求められた。
このエントリー、気に入らなかったので書き換えて再度アップします。
35歳というのは社会的に見て人生の大きな節目のようである。転職するには35歳が限度らしいし、プログラマーに至っては35歳引退説まである。この歳を超えると、ある程度人生の選択肢が狭まってしまう。女性はそれに加えて出産という生物的な限界が近づいてくるので、否応なしに人生を考えざるを得ない。
ある意味で、これまでの世代の人は35歳までにある程度の社会的信用のあるポジションに着き、その後はそのポジションを守って生きてきたとも言えるだろう。
しかし2010年現在、リアルタイムで35歳の人達の悩みは、バブル崩壊の影響を受け、こうした社会的なポジションを得ることができずに35歳を迎えてしまったことである。 2010年現在の35歳は1974年生まれ。団塊ジュニアとしてとりわけ人口の多い世代であり、バブル崩壊の影響で就職に苦労した世代でもある。バブル世代が自由を求めてフリーターになったのに比べ、正社員になりたくても慣れなかった世代がいまの35歳だ。派遣社員では35歳までにキャリアを積み上げることは難しく、年取ってから余力で生きていくのは難しい。
NHKの調査によれば、いまの35歳は10年前の35歳よりも年収が200万円少ないという結果が出ている。それはつまり新卒の年収と変わらない。 失われた10年は世の中の雰囲気だけではなく、実際に数値に表れてる。
例えば35歳は給与体系が年功序列から成果主義に変わってきた最初の世代でもある。働きに応じて給与が支払われる成果主義が広まっていれば、NHKの調査の結果ももっと高い数値が出ているはずだが、そんな兆候は微塵もない。このままで安く使われて終わってしまう。
成果主義でこのまま行くと、今の35歳が50歳や60歳になり、新しい技術を修得したりハードワークができなくなったときに、成果に合わせた報酬だと、今よりももっと少ない収入になってしまうのではないかという不安がある。 年功序列では若いときに少ない収入でも将来は増えるという目算があったから苦しくてもがんばれたのが、成果主義で、いま少ない収入が将来増えるという保障は何もない。世間の事を書いていたつもりが、だんだん自分の心配(笑)になってきた。
こうした現状に対してルサンチマンを垂れ流しても仕方がない。団塊の世代を羨んでも高度経済成長時代は二度と帰ってこないのだ。我々は今の時代を受け入れて生きていかなければならない。高齢者VS若者という分かりやすい二項対立で考えていては思考停止に陥ってしまう。本当に考えなければいけないのは、我々の世代の子ども達についてなのではないだろうか?
35歳は親になる世代でもある。団塊Jr.は貧乏くじを引いた世代とも呼ばれているが、その親の世代は高度成長でしっかりと蓄えた資産があり、臑をかじって生きていくこともできるだろう。いま問題になっているネットカフェ難民のような人達は、何か問題が起きたときに親や親戚など上の世代に頼るという血縁のセーフティーネットを持っていないのではないだろうか。もし親の世代がすっからかんだったら、困難に陥る人はもっと増えるのではないだろうか?
団塊Jr.には、まだかじれるだけの臑が残っている。しかし、彼らの子ども世代には十分な臑を残してやることはできるだろうか? 教育や働いてスキルを磨く機会が少なければ、新興国の追い上げに負けてしまう。国内の産業が力が落ち、ますますレベルアップする機会を無くしてしまうという悪循環が繰り広げられるかもしれない。
年金や医療費が年寄りは得で若者は損だとか、目先の損得を考えていては手遅れになる。問題は世代間の対立では解消できないのだ。いまこそ世代間で持続可能な経済社会を作り上げなければならない。